樺立トンネルを越えて

新しい道、といっても出来てからもう10年近く経ちますが、赤井川の都地区から山を越えて直接俱知安に至る道があります。私は休みの日に轟の鉱山跡を探索しに行った時に、工事中だったこの道を歩いた思い出があります。開通して暫くは知る人も少なく交通量は寂しいものでしたが、さて今回はどうか。赤井川の道の駅も出来たので楽しみに出かけてみました。

国道393号は朝里から毛無峠を越えて赤井川の道の駅へ。駐車場は結構広々としています。ここで自転車を組み立てて出発します。久々の好天でバイクの連中も早朝から集まっておりました。今回は樺立トンネルを越えることが目的ですが、最初に稲穂峠を越えるか、樺立トンネルを先にするか迷うところです。結論から言うと、樺立トンネルを先にした方が良いです。なぜならばトンネンルは赤井川から俱知安側に下っており、従ってトンネル内をスムーズに通り抜けるのは赤井川側から抜けた方が楽だからです。後で述べますが、景観的にもこの方がずっと良いはずです。

393号は道の駅からは白井川に添った上り基調が続き、轟と別れるところから峠の上りに掛かって行きます。交通量は、「寂しくはない程度」と言っておきましょう。上り自体はそれほどきついものではなく、道の駅から9kmちょっとでトンネルに至ります。割とあっけないです。先ほど書いたとおり、下り基調でトンネルを通過すると、天気さえ良ければですが、程なくニセコの山々が、そして今少し進むと羊蹄山の威容が眼前に飛び込んできます。羊蹄山に飛び込むように下って行く道の爽快感は、恐らく道内の道でここが最高ではないかと思います。下りきった大和地区はのどかな畑作地帯で、春はタンポポや菜の花が咲き乱れ、新たに植え付けられた畑の畝や水路が羊蹄山を背景に映えて美しいです。軽快に下り基調の道を進めば、俱知安には容易に至る事が出来ます。

俱知安の町外れで国道276号に出会って町側へ右折しますと、程なく三条市場のある国道5号との交差点に至ります。俱知安の町はここから左に曲がった方に拡がっていますし、直進すると駅の横にでて、最近は駅前が再活性化しているという噂なので飲食店を探してみるのも良いかも知れませんが、今回は朝早すぎて開店しているはずもないので素直に右折です。一級国道となり流石に交通量は多くなります。俱登山川(クトサン川)の手前にローソンがありますのでここでコーヒーなど飲んでしばしくつろぎます。なおこのルートでコンビニがあるのは、俱知安市内の数店と小沢を過ぎた国富地区のセイコーマート(コースからは少し岩内側に外れます)のみですのでご注意下さい。

ローソンを後にして琴平地区への上りを過ぎ、一旦下ってまたのぼると、俱知安峠という低い峠を越えます。峠か?というような低いものですが、一応堀株川(ホリカップ川)と尻別川水系の分水嶺となります。下りとなり気分は軽いです。ワイス温泉が見えてくると小沢はもうすぐです。小沢の駅ホーム(無人駅なので勝手に入れる)で本日唯一の大型お握りを食べながら、ワンマン運転のローカル線が走り行くのを眺めるのは良いものです。この駅は往時は岩内線との分岐に当たる交通の要衝で、今は流石に営業していないらしいですが駅前には旅館もありますし、「トンネル餅」という名物お菓子もあります。これはすあまのお菓子でトンネルの断面をかたどったかまぼこ形です。今でも駅前の店で販売されてて、汽車を利用する人が買っているとは思えず、果たしてどのくらい売れるものか分かりませんが、ともかく今も売られているのです。またここでは近くの三田牧場のアイスクリームを扱っている店もあります。

小沢を後にして短いトンネルを越えると国富の三叉路に至ります。先ほどのセイコーマートは岩内側に左折して少しの所にあります。コースは右折で、最後の峠である稲穂峠に掛かって行きます。今回初めて知ったのですが、この国富地区の道の両側は桜並木となっているようです。桜の季節には少し遅すぎましたが、名残の八重桜が何本か咲いておりました。今は民家も絶えておりますが、往時には結構な人が住んでいたのでしょうか。今は雑木の中に埋もれるようにならんでいるのですが、規則的な間隔をおいて桜の木がならんでいて明らかに人が植えたものと分かります。道は上り基調で続きます。途中で左にトンネルの工事現場が見えてきました。どこへつなげる道路なのでしょうか。更に進むと峠の上りが始まります。交通量は今回のコースで最も多くなります。といっても中山峠などと比べると大したことは無いのですが、常に車に追われるくらいの混雑です。路面はまあまあといった荒れよう。路肩も割と細い方ですから、快適、とは言えません。短いトンネルを越えて最後の稲穂トンネルを過ぎると一気の下りとなります。トンネルを過ぎてすぐの所に、島義勇と松浦武四郎の歌碑があり、立ち寄ってみました。島一行はこの峠を徒歩で越えた時に夜に至って難渋していたところ、松明をたいて迎えに来た村人達に励まされ無事越えることができた心境を漢詩に詠んでおります。当時の峠はここからトンネルの上を越えていたらしいです。すぐ横に小さな滝もあり、名付けて「まつらのたき」。松浦武四郎にちなんだ名前でしょう。

峠の下りはあっけなく過ぎ、下りきったところが銀山との分岐となります。右折です。ここに至ると交通量はめっきりと少なくなり、「寂しいレベル」です。暫く行くと稲穂川という余市川の支流があり、「峠下」というバス停があって、本来の稲穂峠の道がこの沢伝いに上がっていたことを改めて思い起こさせてくれます。道はこの沢沿いから一段上がると余市川に沿って銀山地区の平野が拡がります。わずかな上り基調とはなりますが、静かな一本道をたどるのは気持が軽くなります。個人的には昔余市川で魚を釣って楽しんだ思い出があり、懐かしい橋に寄り道をして川面を覗いたりしながらのんびりと走りたいところです。大正橋をすぎ都地区に戻ってくると道の駅はもうすぐです。

全行程でゆったり走っても半日あれば回れると思います。

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