平取・義経伝説の里を巡る

北海道の峠の名前は単純なものが多いです。多くは峠を挟む両側の地名の頭文字を取ったもの(石北峠、釧北峠など)。他にはどちらかの地名を取ったもの(北見峠、足寄峠など)。あるいはその一帯の山や集落の呼称によるもの(ホロホロ峠など)。希にその付近の地主の名前を使ったもの(小林峠など)等です。今回のコースには「義経峠」という珍しい名前の峠があります。源義経は、実は奥州平泉では死なずに北海道に逃れ、やがて大陸に渡りチンギスハーンになった、という義経伝説があり、北海道西側には義経や弁慶の名前の付いた場所が確かに多いのですが、今回の平取にもそれがあって義経神社という神社まであるのです。そこからこの名前になったものです。今回この峠を中に入れた90km程のコースを考えてみました。

客車利用の振内ライダーハウス

今回のスタート地点はアイヌ文化の発信拠点の一つである平取です。アイヌ民族初の国会議員となった、故萱野茂氏の出身地です。コロナ自粛の道央道は空いていて日高道を順調に進んで富川で下りると平取はもうすぐです。まずは駐車場探しから。平取市街を過ぎて二風谷ダム近くに「交通公園」という駐車公園がありましたので今回はここに停車。その先の二風谷ダムの駐車場も広くて良いです。

まずは国道237を北上します。かつては十勝地方に抜けるには内陸の滝川、富良野から狩勝峠を越えるか、あるいは太平洋側からこの道を使って、日高町、日勝峠をたどるかのいずれかが一般的で、まさに交通の要衝でした。今は樹海ロードや道東道が出来たので寂れた感じがしますが、それでも交通量はそれなりです。二風谷の集落はまずまず大きく、商店もあるのですが、ここを抜けると暫く補給は困難です。途中で脇道の町道に迷い込んだりしましたが、結局は荷負(ニオイと読む)まで国道の大型トラックに我慢です。

荷負で道々71号に入ると交通量は激減。平坦な道を気持ちよく流して行きます。貫気別の分岐付近は小集落で自販機が一台だけあります。ここから左折して道々797号に入り振内までの山登りになります。ほぼ車無しの静かな道。割と明るい道ではありますが熊でも出そうな雰囲気です。登り切って気持ちよく下ると振内の赤い橋を渡って鉄道記念館前に出ます。農協のショップがあり、鉄道記念館付近にはベンチなどもあって一息付けます。ここはかつての富内線の振内駅があった所で、機関車が置かれていて古い客車は夏場のライダーハウスになってます。シャワーもあるらしい。ただ今年はコロナのせいで営業できるのか心配です。

振内から2kmほどは、もう一回国道を走らねばなりません。やがて右に「幌尻岳」の標識が出ます。ここを右折して道々638号、桂峠への道に入って行きます。通行する車はこの時期だとまずありません。夏場の登山客の多い頃ならいくらかは通るのか。それでも恐らく少ないでしょう。

道路脇の湧き水

桂峠は沙流川から額平川流域への出尾根の乗り越しですので高さは310mと大したことはないです。右はアプローチにあった「不老の冷泉」です。湧水量は少ないですが、味はまずまずでした。桂峠付近は道が少し狭まりますが路面は簡易アスファルト舗装されていて、ロードでの走行でも全く問題ないです。当日は峠直前の100mだけが未舗装で工事中した。ちなみに携帯は圏外です。

一気に下りきると、日高の盟主、幌尻岳の登山基地である豊糠集落です。学校跡が登山客用の宿泊施設になってます。夏はここから幌尻岳登山口までシャトルバスが出るらしいです。小集落で自販機などは一切ないです。以後下り基調の道が額平川沿いに続いて行きます。平取ダムを造る関係で道は新しく付け替えられており、曲がりくねった細道だった旧道は通行止になってました。新しい道は路面も荒れておらず走りやすいです。この時期はスズランの大集落が観光の目玉なのですが、今年はコロナの関係でそこへの立ち入りも禁止となってしまい、案内看板もありませんでした。芽生(メムと読む)付近から農場が散在します。芽生の神社横は、学校跡と思われ、恐らく校庭であったと思しき場所に東屋が残されていました。ここで一休みし携帯の電波を確認できました。

横は廃校跡地

この神社から数百メートル進んだ所で左折する町道が、尾根向こうの旭地区への近道になります。一寸した山登りになります。下りきると曲がり角に民家があり道々71号に戻ってきました。乗り越えた先の旭地区は農家が散在するのみの寂しい場所ですが、交通量はやはりほぼゼロで走る分には快適です。貫気別川にそった緩い登りが続きます。傾斜はたいしたことないですが、だらだら登りは一寸こたえました。おまけにこの日は向かい風が強めに吹いていました。明瞭とは言えない峠を越えると、思っていたよりしっかりとした下りとなり、三和(ミワと読む)まで一気に下って行きます。正和との分岐が三和分岐点というバス停跡になっていて、バス停小屋で一休み。この辺りのバスは既に廃線となっているようですが、地元の温泉施設までの送迎バスが停まるらしくそのために利用されているらしいです。ただバス停小屋は清掃された形跡がなく、これから先は荒れるに任せるのかも知れません。

バス小屋は汚れていた

さてここから道々80号を使って広富へ、そして最後の義経峠を越えて行くこととなります。車は若干通りますが、都会人の目からするとほぼゼロと言って良い程度。まずは門別川流域への乗り越しをします。2km程の登り道に耐えると気持のよい下り基調の道となり、広富まで一気に進めます。広富はそれなりに農家があるのですが商店はありません。ゲートのある平取への分岐点で最後の休憩をし、いよいよ義経峠です。といっても標高は131mですから登りはたかが知れております。面白い名前の峠なのに標識もなし。もう少し宣伝してもいいのでは。後は一気に下って小平に出ると、最後の国道に出て終わりです。

本当に日高の道は気持ちよい所が多いです。ただし交通量が少ない代償として、アクシデントが起こっても自力で何とかしなくてはいけません。民家もわずかに点在する感じですから当てになりません。桂峠付近は携帯も通じません。振内通過以降は最終盤に国道に戻るまで補給は全く出来ません。熊の気配は道北や狩場近辺に比べると然程は感じませんでしたが、こちらも油断は出来ません。私はマスタードスプレーを腰に縛って走りました。またこの辺はキジが多いのでしょうか。この日だけで三度出会いました。最後の一羽は駐車公園に戻ってきてふと横を見ると相手と目があってしまいました。

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