投稿者「ezounagiinu」のアーカイブ

天馬街道をゆく

天馬街道は浦河町の幌別地区から日高山脈の南に位置する野塚岳付近を越えて豊似に至る60km程の峠道です。かつて日高横断道路という、中部日高の盟主カムイエクウチカウシ岳の腹を抜くとんでもない道路が計画されたことがありますが、莫大な費用と崖崩れなどによる難工事が続き、さらには自然破壊の危惧からの反対も根強く、結局中止になって久しいです。そのためこの道が日高山脈を越える事実上唯一の自動車道です。その名も名馬の産地日高にふさわしく天翔る馬の道というのも憧れを誘います。

今回は日高幌別川付近からスタートして、この天馬街道を越え、豊似、広尾と進んで黄金道路から襟裳岬を越えて海伝いに周回するという、約170kmのコースをたどることとしました。short bike rideとは言えないかも知れませんが、足に自信のある方なら一日で周回できるでしょう。私は自信がないので途中で一泊することとして、MTBにテントなどを積み込んで出かけてみました。

荷物満載のMTB TOPEAKのなんちゃってパニアです

荷物満載です

朝早く出たかったので、前日はこの付近のキャンプ場で一夜を明かしました。今回は三石道の駅です。ここは道の駅の裏側がキャンプ場になっていて波の音を聞きながら寝ることが出来ます。洗面やトイレは道の駅を利用することも出来て便利です。腹ごしらえをして、浦河のセブンイレブンのコーヒーで目を覚まします。

車は日高幌別川を渡る手前の駐車帯に停めました。すぐ近くに交番があって悪戯の抑止にはなるか。何しろ戻ってくるのは明日なので人の目があるところは安心です。自転車に荷物を積み込むと結構な重さになりました。ロードバイクの倍はあるか。テント、シュラフ、小型のコンロ、水用のタンク、着替えに雨具、食料、その他の電子機器、地図などです。

競走馬の運搬車はまるでバスのよう

競走馬運搬車

駐車帯を出てすぐに左折。早朝と言うこともありますが、車は少ない。大型のトラックが時々追い越して行く程度です。他の地方では余り見ない、競走馬専用の運搬車もここでは珍しくありません。路面は良好と言えるでしょう。出発して暫くは牧場や畑の中の平坦な道が続きます。10kmほど進んだオロマップ地区では、丁度覆道になったあたりの対岸にオロマップキャンプ場が見えます。ただ対岸に渡る道はなく、かなり下の、日高幌別川を渡る手前の道から入るほかありません。林に隠れたむき出しの地面だけが見え、かなりワイルドなキャンプ場に見えました。更に進むと上杵臼の駐車帯が左に出ます。トイレもある立派な駐車帯です。言い忘れましたが、この天馬街道には商店はおろか自販機もありません。水も含めてすべて用意する必要があります。この辺りから段々と上りが始まってきます。天馬街道は100m標高が上がる毎に表示が出ますので、これを励みに進みましょう。

いよいよ野塚トンネル 全長4232m

いよいよ野塚トンネル

標高400mを過ぎた辺りで正面に見事なトラス橋が現れ、左には立派な駐車公園が出てきます。翠明橋公園です。休憩小屋があり、観光パンフレットが沢山置かれておりますが、やはり自販機はありません。ここは野塚トンネルの湧水が引かれているのですが、昨年のトンネル付近の崩落以来供給が止まっています。今のところ再開の目途は立たないらしいです。期待していたのと暑い日だったのでこれはちょっと残念。道は更に上り続け、標高500mを越えるといよいよ日高山脈を貫く野塚トンネルとなります。出来た当時は北海道一の長さだったようですが、現在は黄金道路の黄金トンネルが最長となります。それにしても4km程のトンネルはかなり長い。涼めるのは有り難いですが走る内に段々と太陽が恋しくなってきます。トンネルの豊似側では何カ所か工事が行われ、片側交互になっていました。出口付近で後ろを見ると木がなぎ倒されていて相当に崩れたことが分かります。上豊似付近まで道は一気の下りとなり快調に飛ばして疲れも吹き飛びます。

中川一郎生誕の地 この奥に石碑がある

中川一郎生誕の地

道が平らになってくるところが上豊似地区で、堆肥の香る酪農地帯です。往年の十勝の大物代議士、中川一郎氏の生地で、誕生の地の石碑があるのにはちょっと驚きました。さすが中川王国といわれる十勝。こんな何もない田舎から国政を目指した中川少年の思いはどんなものだったかとしばし感慨にふけりました。豊似には立派な記念館もあります。ここからは再び平坦な道となります。漕ぎやすさは風任せと言ったところ。ちょっと意外だったのは、豊似でも道なりには自販機がなかったこと。恐らくT字路を左にとれば一つくらいは自販機があったのでしょうが、広尾側に曲がると、交番はあれども自販機はナシ。そろそろ冷たい物が飲みたくなっていたのでかなりがっかりしました。それでもわざわざ戻るまでもないとやせ我慢です。

野塚の本庄商店 ベンチがあります

野塚の本庄商店

野塚地区で漸く一軒の商店を発見。農協の店舗らしいが「本庄水産」ともあり、真相はどうなんでしょう。何はともあれしっかり自販機あり、店先には休憩用のベンチまで置かれていて有り難い限り。冷たい飲み物を買って休憩です。先客ありちょっと話しを。何でも徒歩旅で少しずつ全国を歩いているのだそう。路銀が尽きると故郷でアルバイトをして金を貯め、前回の終点からまた歩き出す事を続けている青年でした。今日は大樹町まで歩くというのを見送り、こちらは逆方向、広尾へ。広尾は流石は十勝港のあるこの辺第一の町です。町の入り口にはシーサイドパークというキャンプ場もあります。丁度昼時になりましたので腹ごしらえをすることに。恐らく色々と食堂はあるのでしょうが、探すのも面倒で国道沿いの店に飛び込みました。「丸美食堂」さんです。ここで豚丼を注文。間口の割にはかなり広い店です。給水バッグの水が心許ないので補給させてもらいます。この日はともかく蒸し暑い日でした。

フンベの滝 岩盤から水が噴き出す

フンベの滝

広尾を出て町を抜けると、いよいよ黄金道路の始まりです。黄金道路は襟裳岬の東側の道路で、崖が海岸まで迫る地帯が続き、おまけに岩盤はもろく、そこに太平洋の荒い波が打ち寄せ続けるため、大変な難工事とその後の維持のために莫大な金が掛かったのです。「黄金で作った道路」という訳です。広尾側と庶野側にそれぞれ石碑が建っております。黄金道路が始まってすぐ、右側に帯状の滝が見えてきます。フンベの滝です。伏流した水が海岸付近で地表に現れて滝となっています。駐車帯もあって涼むには最適。引かれたホースから出ている水があって、地元の人と思しき二人組がこの水を飲んでいました。「飲めるの?」と聞くと、「今飲んだしょ」の返事。安全性はよく分かりませんが。

黄金トンネルは道内最長の4941m

黄金トンネル

これを過ぎるといよいよ襟裳の核心部に入って行きます。音調津までは海岸の道が続きますが、ルベシベツのマッカ岩が見えてくると、タニイソトンネル、新宝浜トンネル、極めつけは黄金トンネルといった長大なトンネルが待ち構えます。いずれも4kmから最長は5km弱まで。長いです。海がしっかりと見えるのは途中の目黒の集落のみで、あとはトンネルとトンネルの間にちょっと垣間見るだけ。トンネルの中は道は良いのですが、何故かいずれも路面は濡れています。恐らく水が湧いているのでしょう。したがって湿気がかなりです。内部の温度は気温よりかなり低いので、蒸し暑かった当日は助かったことも事実。ただ本当に長くて嫌になる、という感じです。ひたすら闇の中を進みます。目黒にはサルル山道の入り口があり石碑も建っております。

トセップ展望台より黄金道路を望む

トセップ展望台

長いトンネル地帯が終わると漸く庶野の入り口、トセップ展望台に上ります。ここにもう一つの黄金道路の碑が建っております。しばし太平洋を眺めて越してきた道を眺めて感慨にふけりましょう。庶野の市街地は満足な商店はありません。食料は広尾までで調達しておくべきでしょう。国道はここから山越えですが、今回は襟裳岬を越えることが目的なので、道々34号に入ります。向かい風がきつくなってきました。千平(チビラ)地区を越えると、それまでの荒磯がいきなりの砂浜に変わります。百人浜の始まりです。海岸からかなり奥まで砂の丘陵地帯が拡がり、沼地や原生花園が拡がって気分のよい所です。

本日はここのキャンプ場にて一泊することにしました。3時頃でまだ日が高い内に到着しましたが、既に若干のライダーがテントを張ってバイク談義に花を咲かせておりました。風の強い襟裳ですが、このキャンプ場は内陸の林の中に守られるように作られているためテントが飛ばされるような風は吹きません。それでも夜になると結構な風の音でした。すぐ近くには老人センターの入浴施設があって、300円払うと利用できるのは有り難いです。明るい内から一風呂浴びて、早々とテントに潜り込みました。本日はここまで100kmちょっとといった距離です。

鹿の親子が悠々と道路を渡って行く

鹿の親子

翌日はライダーの人たちより一足早く出発。朝の百人浜は前日とはまた違った風情です。鹿の親子がゆっくりと道を渡って行きます。岬の集落から少し登ると襟裳岬。ガスって何も見えず。それでも久々に到達した気分は最高です。岬から油駒まで左手に拡がる笹原と、その先の太平洋を眺めつつ下って行きます。油駒から歌別まではアップダウンがちょっと堪えますが、歌別を過ぎれば、襟裳本町までは一息です。暫くぶりのコンビニでコーヒー。この先様似までは日高耶馬溪と言われる景勝地帯なのですが、現在はトンネルが多くて余り楽しめません。途中の幌満(ホロマン)の川口で休んでいると、日本一周のお兄さんに声を掛けられました。とても大きな荷物を振り分けにして積んで大変そうでした。

トンネルを越えて様似に戻れば、出発地点はもうすぐです。様似の親小岩キャンプ場も中々良いところの様です。

様似親子岩キャンプ場

様似親子岩キャンプ場

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道々32号を駆け抜ける

北海道が管理する道は数ありますが、中には通り抜けるのが冒険になるようなすさまじい道もあるようです。代表格は136号夕張新得線でしょうか。何しろ夕張〜ニニウ間は途中から踏み分け道になる始末ですし、当然ながら新得側には未開通部分がたっぷりありますから。今回の32号はそれに比べればチョロいものですが、それでも峠部分の6km強の区間は未舗装でヘアピンの続く昔ながらの峠道を思い起こさせてくれるルートです。通行量が少ないことが予想されるので熊もちょっと心配。まず普通のロードバイクでは通過困難と思われます。今回はここを含んだ周回ルートを考えてみました。使用する自転車はダブルサスのMTBとして、念のためブロックパターンのタイヤで臨みます。コース中の殆どが舗装路なのでちょっと重装備過ぎるかとも思いましたが、もう何年も通ったことがないですし、途中から豊浦へ抜ける914号は舗装され、恐らくこちらに殆どの車が流れるでしょうから、32号は放置されて荒れている可能性が大と考えての結論です。果たしてどうなるか。

ブロックパターンのタイヤでこんなに長い距離を走ったことがないので時間の見当が付かず、後の事を考えるとともかく早く出発することにこだわりました。そこで前日は近くのキャンプ場で一夜を明かしましたが、よく晴れたせいで放射冷却が猛烈で、おまけに夏用のシュラフでは朝3時には寒くてとても寝てられなくなりました。早々にテントを畳んで黒松内の道の駅に向かおうとすると、車のインテリジェントキーが効かない!寒さでキーのボタン電池が劣化したのですね。さあどうする。機械式のキーを使う手もあるのですが、エンジンを掛けるタイミングを間違えると防犯用のクラクションを鳴らしてしまうことになって、早朝のキャンプ場では顰蹙ものです。ここは慎重に行こう。暫くズボンのポケットでキーを暖めてバッテリーを甦らせ、なんとかエンジンスタート。黒松内の道の駅に付いて車載の温度計を見ると、何と0℃!これで6月か?という猛烈な冷え込みです。手がかじかんで細かい作業が出来ない。ジェットボイルもガスが気化せず中々お湯が沸きません。前途多難、意気消沈して一瞬ひるみましたが、朝日が昇ってくれば背中に温かみが戻ってきて勇気百倍、思い切って出発です。

今回は事実上三つの峠を越えることになります。まずは出発してすぐの目名峠。白井のパーキングからじりじりとした上りが続きます。先ほど車で下ってきたコースを逆にたどっていることになります。200m程のちょっとした上りですし、朝の元気な内ですからまあ大したことはなし。登り切ると左に美しい牧草地が拡がります。この辺にはかつて上目名の鉱山があった事を今回知りました。黒鉱というのだそうですが、金や銀が取れたのですね。今はそのことを示す小さな立て看板が立っているだけです。それも殆どの人は気づくことはないでしょう。道は目名川へまっすぐに下って行き、やがて蘭越に到着します。この辺にはコンビニが二軒ほどあり、ここが今回のコース上で唯一のコンビニ補給ポイントとなります。100円のコーヒーでしばし暖まる。何しろ冷えます。これで日が出ていなかったら悲惨です。

仏像の台座の道標

仏像の台座の道標

上昆布駅逓所

上昆布駅逓所

新幹線の工事現場

新幹線の工事現場

この先昆布までは若干のアップダウンがありますが距離はたいしたことないです。そしていよいよ道々32号の始まりです。入るとすぐに、峠付近6kmが狭隘で砂利道である事を警告する看板が待ち構えています。友人や家族に現在地を通知して進行します。どうせ最後は携帯は圏外になるのは分かっていますから。車は殆どいないかと思ってましたが、意外と時々出会います。釣りか山菜採りの人たちなのでしょう。とはいえ道の真ん中を堂々と走っても文句を言われない程度の交通量です。熊よけの鈴をハンドルにぶら下げます。これはまあおまじないみたいなものです。それに熊よけスプレーもボトルケージにセット。用意は万端です。民家は途切れ途切れ続いていて、横は昆布川の流れ。熊の糞は意外とみられません。この辺にはあまりいないのかも知れません。一旦民家が途切れて森林帯に入ります。途中に北海道新幹線の工事用道路が左に分岐します。発破作業の警告看板もあります。新幹線は昆布川を橋で越えるらしい。計画では長万部から殆どがトンネルルートとなりますから、ここは数少ない地上部分になるらしいです。新富地区に近づくと再び周囲が開け牧草地が拡がります。昆布川はちょっと不思議な地形を流れていて、上流部に盆地上の新富地区があるわけです。ここで先ほど書いた道々914号が左折して分岐します。分岐点には道標代わりの石像が置かれています。少し進むと上昆布駅逓の後を示す石碑が建っています。この道がかつては重要なルートであった事が忍ばれます。

道々32号の砂利部分

よく締まった砂利

さて直進すると程なく砂利道の最終警告が出て、「この先Uターン出来ません」の脅し看板が並びます。もう一度メール。まだかろうじて圏外ではなかった。空気圧を思い切り落とします。ファットバイクではないので、規定圧2気圧が限界ですが、ともかくそこまで落とします。これで砂利路面でタイヤがポンポンはねることはなくなります。走り出しの路面は事前に予想したよりかなり良いもので、恐らく昔コンクリート舗装されていたものと思われました。それが長い間に風化して砂利道風になっているのですが、元の平らな部分がかなり残っているのでMTBには走りやすいと感じられる程度の荒れようです。結構上まで牧草地が拡がり広々とした景色に癒やされます。これを過ぎるとヘアピンの山道に入って行くのですが、ここまで来ても路面は良くしまった砂利道で難儀するほどではありません。そろそろ一発目の爆竹の出番です。景気よい音が谷に木魂します。登り切ると暫く尾根筋をすすみ、反対側の下りに掛かります。もう一発爆竹。こちらの路面も同じようなしまった砂利で、大きな穴もなく快適に下ることが出来ました。30km/hrそこそこですが、砂利道だとかなりの速度感あり。当初誰にも会わないだろうと思っていたのですが、下りの途中で車が一台追い抜いて行きました。この峠は昆布側から抜けた方が良いと思います。というのは豊浦側のほうが砂利区間が長いからです。砂利区間を延々と登るのはつまらないし消耗しますから。丁度高速道路の橋脚の部分で砂利道が終わります。空気圧を元の4気圧強に戻して、あとは残りのコースを消化するだけです。猫が一匹橋の上に現れました。民家もないのに一体どこに住んでるのか。

猫がいた!

猫がいた!

暫く高速道路を左に見て下り、やがて前方で山が海に落ちる雰囲気が感じられるようになると国道との交差点に至ります。今回は交通量が多い上に山越えをする国道を進まず、直進して道々608、609号をたどって噴火湾を眺めます。車は少ないです。寂しくない程度の交通量です。大岸の集落は店らしいものはあまりなし。程なく大岸駅着。駅舎でパンをかじりました。駅の前には一軒だけ商店があり、日曜日で閉まっていましたが飲み物の自販機はありました。大岸駅は目の前に海が拡がるのどかな雰囲気でとても癒やされます。ここから平坦な海沿いの道をたどり礼文の海岸の絶景を楽しみます。一部道が狭隘になる場所があり、この辺の景色が一番素晴らしい。丁度この季節には岩に付いたハマナスやエゾノカンゾウが今を盛りと咲き誇り、これをバックにカモメが飛び交います。

岩付きのハマナス

岩付きのハマナス

礼文の漁港を過ぎると道は内陸に入って行き、やがて再び国道と合流します。ここから本日最後の上りである礼文華峠に掛かります。かつては有数の難所と言われた峠だそうですが、現在は深淵な谷を架橋が越え、峻険な尾根にはトンネルを穿って道がつけられていて、それほどの苦労もなく越えることが出来ます。礼文華トンネルをこえて小幌の谷を越える辺りが最高点です。この辺の橋は、是非自転車を下りて歩いてみることをお勧めします。小幌の谷の絶景は、車ではすぐに通り過ぎてしまって味わうことが出来ません。橋の上ですから駐車することも出来ません。これを楽しめるのは自転車ならではの特権です。特に豊浦側から長万部側に進む場合は道の海側を進むこととなるためその眺めは例えようもありません。遥か下に、日本最高の秘境駅である小幌駅のトンネルを望むことも出来ます。

道はいよいよ最終章に入ります。礼文華峠から一気に下ると、黒松内へ右折です。道々266号、344号とつないで出発点へと戻ります。下り基調の快適な道です。この日は追い風に乗ってスピードが上がりました。観音橋で右折して大成地区通過。ここの学校跡地には弁開凧二郎終焉の地の碑が立っております。アイヌ人の獣医であった弁開氏はこの観音橋で転落して亡くなったとの事。恐らくその頃の観音橋は相当に危ない作りだったのでしょう。朱太川から小尾根を乗り越すとあとは白井川沿いの下りをたどって、道の駅はもうすぐです。

全部で90km強の周回ルートですが、MTBか、少なくともランドナーやシクロクロスにできるだけ太いタイヤを装着する必要があるでしょう。ブロックパターンのタイヤは、当然ですが速度が上がりません。私の腕ではロードより10km/hr位遅い感じです。

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樺立トンネルを越えて

新しい道、といっても出来てからもう10年近く経ちますが、赤井川の都地区から山を越えて直接俱知安に至る道があります。私は休みの日に轟の鉱山跡を探索しに行った時に、工事中だったこの道を歩いた思い出があります。開通して暫くは知る人も少なく交通量は寂しいものでしたが、さて今回はどうか。赤井川の道の駅も出来たので楽しみに出かけてみました。

国道393号は朝里から毛無峠を越えて赤井川の道の駅へ。駐車場は結構広々としています。ここで自転車を組み立てて出発します。久々の好天でバイクの連中も早朝から集まっておりました。今回は樺立トンネルを越えることが目的ですが、最初に稲穂峠を越えるか、樺立トンネルを先にするか迷うところです。結論から言うと、樺立トンネルを先にした方が良いです。なぜならばトンネンルは赤井川から俱知安側に下っており、従ってトンネル内をスムーズに通り抜けるのは赤井川側から抜けた方が楽だからです。後で述べますが、景観的にもこの方がずっと良いはずです。

393号は道の駅からは白井川に添った上り基調が続き、轟と別れるところから峠の上りに掛かって行きます。交通量は、「寂しくはない程度」と言っておきましょう。上り自体はそれほどきついものではなく、道の駅から9kmちょっとでトンネルに至ります。割とあっけないです。先ほど書いたとおり、下り基調でトンネルを通過すると、天気さえ良ければですが、程なくニセコの山々が、そして今少し進むと羊蹄山の威容が眼前に飛び込んできます。羊蹄山に飛び込むように下って行く道の爽快感は、恐らく道内の道でここが最高ではないかと思います。下りきった大和地区はのどかな畑作地帯で、春はタンポポや菜の花が咲き乱れ、新たに植え付けられた畑の畝や水路が羊蹄山を背景に映えて美しいです。軽快に下り基調の道を進めば、俱知安には容易に至る事が出来ます。

俱知安の町外れで国道276号に出会って町側へ右折しますと、程なく三条市場のある国道5号との交差点に至ります。俱知安の町はここから左に曲がった方に拡がっていますし、直進すると駅の横にでて、最近は駅前が再活性化しているという噂なので飲食店を探してみるのも良いかも知れませんが、今回は朝早すぎて開店しているはずもないので素直に右折です。一級国道となり流石に交通量は多くなります。俱登山川(クトサン川)の手前にローソンがありますのでここでコーヒーなど飲んでしばしくつろぎます。なおこのルートでコンビニがあるのは、俱知安市内の数店と小沢を過ぎた国富地区のセイコーマート(コースからは少し岩内側に外れます)のみですのでご注意下さい。

ローソンを後にして琴平地区への上りを過ぎ、一旦下ってまたのぼると、俱知安峠という低い峠を越えます。峠か?というような低いものですが、一応堀株川(ホリカップ川)と尻別川水系の分水嶺となります。下りとなり気分は軽いです。ワイス温泉が見えてくると小沢はもうすぐです。小沢の駅ホーム(無人駅なので勝手に入れる)で本日唯一の大型お握りを食べながら、ワンマン運転のローカル線が走り行くのを眺めるのは良いものです。この駅は往時は岩内線との分岐に当たる交通の要衝で、今は流石に営業していないらしいですが駅前には旅館もありますし、「トンネル餅」という名物お菓子もあります。これはすあまのお菓子でトンネルの断面をかたどったかまぼこ形です。今でも駅前の店で販売されてて、汽車を利用する人が買っているとは思えず、果たしてどのくらい売れるものか分かりませんが、ともかく今も売られているのです。またここでは近くの三田牧場のアイスクリームを扱っている店もあります。

小沢を後にして短いトンネルを越えると国富の三叉路に至ります。先ほどのセイコーマートは岩内側に左折して少しの所にあります。コースは右折で、最後の峠である稲穂峠に掛かって行きます。今回初めて知ったのですが、この国富地区の道の両側は桜並木となっているようです。桜の季節には少し遅すぎましたが、名残の八重桜が何本か咲いておりました。今は民家も絶えておりますが、往時には結構な人が住んでいたのでしょうか。今は雑木の中に埋もれるようにならんでいるのですが、規則的な間隔をおいて桜の木がならんでいて明らかに人が植えたものと分かります。道は上り基調で続きます。途中で左にトンネルの工事現場が見えてきました。どこへつなげる道路なのでしょうか。更に進むと峠の上りが始まります。交通量は今回のコースで最も多くなります。といっても中山峠などと比べると大したことは無いのですが、常に車に追われるくらいの混雑です。路面はまあまあといった荒れよう。路肩も割と細い方ですから、快適、とは言えません。短いトンネルを越えて最後の稲穂トンネルを過ぎると一気の下りとなります。トンネルを過ぎてすぐの所に、島義勇と松浦武四郎の歌碑があり、立ち寄ってみました。島一行はこの峠を徒歩で越えた時に夜に至って難渋していたところ、松明をたいて迎えに来た村人達に励まされ無事越えることができた心境を漢詩に詠んでおります。当時の峠はここからトンネルの上を越えていたらしいです。すぐ横に小さな滝もあり、名付けて「まつらのたき」。松浦武四郎にちなんだ名前でしょう。

峠の下りはあっけなく過ぎ、下りきったところが銀山との分岐となります。右折です。ここに至ると交通量はめっきりと少なくなり、「寂しいレベル」です。暫く行くと稲穂川という余市川の支流があり、「峠下」というバス停があって、本来の稲穂峠の道がこの沢伝いに上がっていたことを改めて思い起こさせてくれます。道はこの沢沿いから一段上がると余市川に沿って銀山地区の平野が拡がります。わずかな上り基調とはなりますが、静かな一本道をたどるのは気持が軽くなります。個人的には昔余市川で魚を釣って楽しんだ思い出があり、懐かしい橋に寄り道をして川面を覗いたりしながらのんびりと走りたいところです。大正橋をすぎ都地区に戻ってくると道の駅はもうすぐです。

全行程でゆったり走っても半日あれば回れると思います。

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春の新日高町を走る

昨年は平取から新冠の間を周回してみたのですが、今回はもう少し襟裳岬寄りまで迫って、新冠から三石までを周回してみることにしました。折良くこの年の4月21日から日高道は厚賀まで延伸となりました。また襟裳岬が近くなりました。札幌を早朝に車で出て道央道から日高道を、新たな終点の厚賀インターまで走ります。この日は4月としては珍しい暖かい日となりました。判官館を回ると新冠町です。道の駅レコード館に車を停めます。ここの道の駅はそれほど駐車場が広いとは言えず、連休のスタートの上に最近のキャンピングカーブームで早朝から結構混み合ってました。

大富地区の分岐

これに騙されない!

出発してすぐに山側へと左折することになります。この道が少し分かりずらいです。道の駅をでてすぐの、ちょと立派な道は外れです。住宅街で行き止まります。更にもう一本静内側に道があります。これが新冠川左岸に沿って上がる道となります。右は山、左は遥かに新冠川という快適な道。車はほぼゼロです。この道は「大富」地区で道々1026号と合流するのですが、その少し手前の大富生活館付近に紛らわしい「静内方面」の標識が出るので注意!!直進しており、「静内方面」という言葉に騙されて入り込みやすいですが、すぐに山越えになる農道です。ゆるく左折して道なりに進むのが正解です。

やがて道々と合流して右折です。暫く素晴らしい道々を進みますと、万世地区で橋を渡ってすぐに右折の看板が出ます。この時は静内桜祭りの直前でしたので「桜祭り」の看板がありました。右折すると軽い山登りとなります。静内水系への乗り越えです。下ると静内です。桜の名所、20間道路の桜には流石に少し早かったようですが、準備の人たちが小屋に詰めていました。

観農台

「観農台」静内の平野を一望

静内川を渡ると大きく左折して豊畑地区で右折。ここから尾根越えです。頂上手前に「観農台」というひなびた展望台があります。東屋がありますが、かなりひなびている。しかし名前の通り静内川水系の農地が一望できる素晴らしい眺めに、しばし足を止めます。ここで一個目の大きなお握りを食べてこの後のルートに備えます。

程なく登り切って下ると、西川地区です。三叉路になりますが、道なりに直進して道々1025を外さないようにします。角には公民館があります。この辺、車は殆ど通らず快適です。

道々1025の分岐

道々1025は分岐して山へ向かう

ここから先は、静内地区の小さな川の上流部を越えながらの道になりますから細かいアップダウンが続いて、ちょっと精神的に消耗します。まずは春立に流れ込む布辻川の上流部をまたぎ、さらにその支流をまたぎます。高原状の地形を進むと、道々1025は細い道となって左折となります。しかしここだけは道々をとらずに直進すべきでしょう。左折して道々を進むと砂利道となるらしく、ロードではちょっと無理。車もみな直進していました。この道は一気に下りになり富沢に至ります。三石からの道々534との交差点は運送会社の敷地で、一休みします。ここからどうするか、道々534を上って1025号に戻るべきか、それともショートカットして福畑で1025号に戻るか迷うところです。今回は素直にショートカットしました。

折れた標識

折れた標識もあります

道々1025号はまだ続きます。本桐の上流部、鳧舞川を越えて山道を進みます。車は本当に少ない。快適そのもの。ただし一部の道は細く、極端に表現すると畑のあぜ道のようで、まるで地方の農道の雰囲気のような場所があります。理由は分かりませんが北海道の道としては珍しく変なところで鍵の手に曲がったりします。おまけに道の曲がりを示す標識は、道々標識の下に小さく矢印で示されるだけですし、中にはそれすら折れて見えにくくなっているのまであるので、注意深く見落とさないようにしないとロストします。

最後の下りを追えると、元浦川です。この川の由来は、元「浦河」に依るものとは知りませんでした。まずまずの川で、開拓当時の荷揚げには十分だったのでしょう。この川の河原で最後のお握りを食べていると、自転車に乗った同好の士がやってきました。地元様似の人とのこと。三石まで走っての戻りだそうです。

荻伏駅

可愛い荻伏駅

走行距離が60kmを越えてきたので本日はここまでとして戻ることとしました。道々348号を荻伏へ下りましたが、途中の日高線沿いの道をとるか、国道まで下るか迷いました。結局国道を戻ったのですが、これははっきり言って失敗でした。車が一気に多くなります。春先の未整備のせいもあるのでしょうが、路面もかなり荒れていました。富里で右折して日高線沿いの道を戻るべきです。こうすれば、少なくとも三石までは車の排気ガスを吸わずに済みます。ただ国道にも良いことはあります。海岸の眺めです。太平洋の波の音が気持を切り替えてくれます。途中には三石の道の駅があり、休憩所としては最適です。商店や自販機も程よくあるので、今までの山の中とは安心感も違います。静内の町を抜けると、出発した新冠はもうすぐです。

レコードの湯の看板猫

よってきます

帰りに新冠の「レコードの湯」に寄りました。弱アルカリのつるつる温泉です。玄関前に置かれている巨大な日高石が見事です。人なつこい看板猫も可愛いですよ。

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望来の裏庭を走る

望来から厚田にかけて走るときには、素直に国道を走るか、車の喧噪を避けて望来から海側の山を越えて嶺泊まで越え、ここから国道を走る、というのが一般的です。(といってもこの海側の巻き道も近年は景色目当てのドライブの人が多くて静とも言えなくなっていますが)所がまだあるのです。それは望来から一旦山側に入り、正利冠から林道を越えて望来川流域に出て、更に望来川沿いを詰めて望来ダム手前の林道をたどって古潭川まで出る方法です。今回は走りませんでしたが、更に古潭川を遡って山越えをすると、発足の付近で厚田川上流部に出ることが出来ます。この道は一部が砂利道となりますので、ロードではちょっと無理でしょう。今回はMTBでたどってみました。

望来では海の近くのパークゴルフ場の駐車場をスタート地点にしました。かなり広い駐車場なので海水浴シーズン以外であれば車を停めても文句を言われることはないと思います。ここで自転車を組み立てて出発。札幌方向へ少し戻って正利冠川を渡るとすぐに左折です。正利冠川にそって平らな静かな道がまっすぐに続いています。程なく高岡方面への道と交差しますが構わず直進。道なりに行くと五の沢への上りになりますが、その手前で正利冠東への分岐が出てきますのでこれを左に取って正利冠川から離れないようにします。道は狭くなりますが、ここから先はほぼ車はゼロ。たまにゴルフ場に行く車が通るくらいで、それもゴルフ場入り口を過ぎるとなくなります。最終民家まで舗装路が続きますが、どつんまりで左に林道の入り口が見えます。ここから砂利道になります。路面は割とよくしまった小砂利で荒れて居らず、上りではありますが十分走れます。暫く川沿いの狭い田圃の中を進み、尾根にとりつくと人の気配はなくなります。ちょっと怖いです。熊の巣か?ただこの道のすぐ西側にはゴルフ場がありますので、実はそれほどの山奥ではありません。林道で埋まったゴルフボールを見つけてちょっと驚きました。運が悪いとOBのボールに直撃される?でも念のために爆竹を鳴らします。登り切った尾根道をたどれば、やがて沢筋の下りとなり、MTBならば快適なダートを楽しむことが出来ます。ここでも用心に爆竹。最終民家からは舗装路となり、望来川を渡ると程なくT字路となります。左にとれば国道、右へ進みます。

すこし行くとカフェの看板が。こんな所にカフェがあるのも珍しい。残念ながらこの日は休みでした。看板の前で腹ごしらえをします。さて望来川を上流方面へとたどります。穏やかな田園地帯。交通量はほぼゼロ。快適です。民家は結構奥まで続いていて不安はありません。やがて民家が途切れると望来ダムへの分岐が見えてきます。こちらは立ち入り禁止。目的の林道は左折です。何と舗装されてます。丁度キノコ採りのおじさんが車で下りてきたので先の様子を聞いてみますと、この先も全て舗装路である、との事。さらに厚田までの林道全てが舗装されているらしい。これには驚きました。舗装路ではありますが、そこは林道、傾斜は結構きついです。それでも尾根に登り切ってしまえばあとはたいしたことないです。ただこの道の方が民家からは遠く、熊の気配は濃厚になります。時々爆竹です。

古潭川に下りて道はT字路になります。右をとれば厚田川上流部に出るのですが、今回は時間も無かったので素直に古潭地区へと下りました。驚いたことにこの古潭地区の民家付近が今回のルートで最も熊の糞が多かったです。山の奥の方にはあまりなく、民家近くの道端にいくつも見かけました。この辺は民家と行っても納屋だけで、夜間は誰もいないのでしょうか。海が見えてきます。古潭地区です。いつもは通過する集落を訪ねてみました。高台に神社があるのは集落の常。商店は一件のみ。自販機があり、その前には漁港のトイレがあります。民家は風よけのために高い木の板で覆われています。ここからは素直に国土をたどって望来まで戻りました。

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天空の楽園 トマムを巡る

上川振興局の最南端にあたる占冠村は、かつては陸の孤島とまで呼ばれた山深い場所にあり、現在の樹海ロードや道東道が出来る前は行き着くことさえ大変な場所だったと聞きます。今回改めて走って見て思ったのですが、非常に興味深い地形です。清流鵡川の最源流部なのですが、下流の赤岩青巌峡が函状の激流であるのに、占冠村から上流のトマムに掛けては平らな地形が拡がり、一転して穏やかな流れに。そしてトマムを過ぎるといつの間にか分水嶺を越えていて、空知川水系に入り込んでしまいます。まるで天空に浮かんだ大地のような地形です。「シモカプ(shimokap)」(とても静かで平和な上流の場所)というのがうなずける感じがしました。占冠村からトマム、落合、幾寅と巡り、金山湖の横を通って金山、金山峠を越えて周回するコースです。

不思議な泣く木

不思議な泣く木

スタートは占冠の道の駅か占冠駅が良いでしょう。どちらも車を置くことが出来ます。スタートするとすぐに金山峠との分岐が出ます。これを戻ってくるわけです。右をとると道々136号、永遠に開通しない道々である夕張新得線、トマムへの道。ゆっくりとした上り基調の道が続きます。路面は荒れておらず走りやすいです。右には鵡川の美しい流れが続きます。

「不思議な泣く木」という看板が右手にあり、ちょっと休憩。二つの部落の争いに恋仲の若い二人が巻き込まれ、落胆した二人が相次いで死んでしまう、というストーリーは洋の東西を問わず共通のようです。同様の言い伝えは道央の留寿都にもあり、やはりその木を切ろうとすると悪いことが起こるというのも共通しています。

途中左折路が出てきます。幾寅峠への分岐です。私が通った時にはゲート

幾寅峠分岐

幾寅峠分岐

が閉められ通行止めになっていました。昨年の大雨で路盤が決壊したものの様です。南富良野やここ占冠、それから十勝の北側の地方の被害は想像していたより深刻のようです。程なく道東道、道々、それに石勝線の三本が全て交差する地点を通過します。ちょっと珍しい場所です。これを過ぎるとトマムの駅はもうすぐ。当然ながら無人駅ですが驚くことに特急が停まります。というよりここは特急しか走ってないのです。特例として新得-新夕張間のみ乗る場合は普通料金で特急の自由席に乗ることが出来るのです。ただしこの区間を越えて乗ると特急料金が掛かるので、必ずこの区間で降りなくてはなりません。トマム駅にはトマムリゾートのお迎えバスを呼ぶ電話が設置されていました。このリゾート施設の客のために特急が止まるようなものなのです。それ以外の乗降客はほぼないでしょう。

これを過ぎると山の中に忽然と二本の巨大なタワーが現れます。トマムリゾートです。森の木のはをイメージしたものでしょうか、緑や薄茶色などのダンダラ模様のような珍しい外観で、ちょっと不気味な眺め。この地区には他にも飲食店や民宿が点在しています。

トマム駅

トマム駅

やがて道は上トマム地区へ。明るく開けた盆地のような地形の場所です。ここまで来ると鵡川の清流がチョロ川に変わっているのはちょっと驚きです。普通は川が上流に行くにつれて急な流れになるものなのですが、言葉は悪いがドブ川のような緩やかな流れです。もちろんドブ川とは違って水はきれいですよ。何とも穏やかな雰囲気で、いにしえのアイヌ人が「神々の住む場所」とたたえたのが分かる感じがしました。市街地のどつんまりでT字路になり、右へ行くと幻の新得への道。左が道々1117号となって狩勝峠への国道に通じております。当然左へ曲がります。当然上りが続くものという期待は見事に裏切られます。チョロ川の鵡川を渡るとゲートがあり、ほんの少し走ると、何故かペダルが軽くなっている。おかしい、いつ上りが来るのか、と思っているとドンドン速度が上がります。下っていたのです。太平洋へ流れ落ちる鵡川と日本海に流れる最大の河川、石狩川水系の分水嶺がこんな形で、しかもかなりの高地で通過できたことに、ちょっと感動です。やっぱりここは神々の遊び場か。

狩勝峠 売店は閉まっていた

狩勝峠

気持のよい下りが落合の出会いまで続きます。左には空知川の支流が見えますが、大雨の爪痕が生々しく展開します。確かにこれでは根室本線を開通できないと思い知りました。道路は少し川から離れていて助かったのでしょうが鉄道は川岸近くを通っている所があり、路盤がえぐれています。圧巻は鉄橋の上に残された巨大な流木の山。つまり鉄橋の上まで水か来たということです。恐ろしいことです。よく鉄橋が流されなかったものだと逆に感心したりしました。当日の川は橋の遥か下を流れていて、この水がこの橋の高さ付近まで上がったと考えると、いったいどれほどの水が流れたものでしょうか。

落合の出会いから素直に幾寅に下るべきか迷いましたが、まだ時間が早かったし折角なので数十年ぶりに狩勝峠を訪ねることにしました。狩勝峠はかつて北海道の名勝の一つで、帯広方面へ抜けるための幹線道路でした。しかしその後悪路だった日勝峠が改良され、更に樹海ロードの開通、改

落合の鉄橋 流木は鉄橋を乗り越えている!

落合の鉄橋 流木に注目!

良、道東道の開通と、南側を回るルートの整備が進んだことで、交通量は激減してしまいました。十勝平野を見下ろす眺めはそれなりに良いのですが、それとても日勝峠と比べてどうか、という所もあって観光の面でも今一つの感あり。かつて賑わった峠はどうなっているかと登り始めました。初めは直線気味で一定の上りが続き、思っていたより走りやすい。じわじわと高度を稼ぎます。道が曲がり始めると漸く峠らしくなり、左に谷間を眺めつつ高度を上げます。左前方はるか上に携帯電話用のアンテナが見えてきます。恐らくあれが峠か。意外と近いね、という感じ。一休みして先を急ぎます。峠着。お決まりの売店があるのですが既に廃業したのかやってませんでした。やはりここも時代の波には勝てなかったのか、と寂しさを覚えました。展望用のドーム状の東屋は道を渡って反対側の小高い場所にあり、晴れていれば新得方面が美しいのでしょうが、生憎の雲に覆われむなしく峠を後にしました。

盛りが凄いです!!カツも美味い!

道の駅のカツ丼!

落合に下ると丁度川をラフティングのボートが下って行くところでした。ここから幾寅へは基本的に下り基調。然したる見所と言うほどの場所もなく、次第に平地が開ける中を進んでいきました。やや向かい風となって思ったほどの速度にはなりませんでした。やがて幾寅が見えてきます。ここが南富良野町最大の街になります。道の駅もあり小さいながら商店街もあります。映画の「鉄道員」のロケ地になった駅でもあり、駅舎がそのままロケ地跡として残ったまま今も利用されております。ただ今回尋ねたときには東鹿越から新得までの線が停まっていたので駅舎を通る列車を見ることは出来ませんでした。幾寅で食堂を探しましたがいずれも開店が遅くてやってない。折角時間つぶしに狩勝峠を回ってきたのに残念。仕方なく、というのは失礼ですが、道の駅の食堂に入ってみました。所がここが中々良い。特にトンカツが良いです。カツ丼のトンカツがやけにしっかりとしていて食べ応えあり。正解でした。

快晴の金山駅 抜けるような青空

金山駅

お腹もいっぱいになったので暫く道の駅の二階で昼寝。ここは林業関係の展示スペースになっていて見に来る人はほぼないので一階の喧噪とは無縁でベンチでごろ寝と行きましょう。一眠りして外に出ると午前中の涼しさは去って照りつけるような暑さになっていました。この先もう一つ峠を越えることを考えるとちょっと心配になります。気を取り直して出発です。道の駅からすぐに左折。金山湖の右岸を進みます。交通量は少なく路面もまずまず。基本は下り基調なはずですがあまりそれを感じません。金山湖の中間辺りで東鹿越からの橋が合流してくると程なく公園とキャンプ場があり、ホテルや若干の売店などもあります。湖畔にはラベンダー畑がありますが中富良野の施設などとは比べものになりません。これを過ぎると路面は少々荒れてきて道も狭くなります。尾根を越える度に道が上下してちょっと疲れます。金山ダムのトンネルを過ぎると一気に下って金山の市街に入り、線路を渡ってすぐに左折すれば無人の駅舎に着きます。強い日差しを避けてしばしの休息。こういう日には日陰があるだけでも助かります。

最後の上りに掛かります。金山峠です。距離は10km弱。大したことはないのですが、走行距離が100kmに近づいてくると疲れもたまってきてスイスイとは行きませんでした。最後のトンネルを抜ければ峠は終了します。後は占冠へまっしぐらに下って終わりになります。途中に民家はほとんどなし。占冠側に湯の沢温泉という温泉施設が一カ所あるのみです。占冠駅前の観光施設は殆どもぬけの殻のような状態になっていて無人の休憩所です。数年前にはまだ多少の売店などもあったのですが。自販機だけは動いていたので冷たい飲み物にありつくことは出来ましたが。

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名馬の里を往く 平取から新冠へ

母馬と仔馬

春は仔馬の季節

平取町はアイヌ文化の発信地として有名ですが、沙流川沿いの中心を外れると競走馬の牧場が点在する静かな山間の道が広がります。交通量は極端に少なく、道は美しく、春は桜や梅ばかりでなく、鈴蘭やオオバナノエンレイソウ、ニリンソウなどが、他では見られないような群落を作っていて見事です。日高山脈を源流に持つ小河川がそれぞれ谷を作っていて、コースはこれを横切りながら進みますのでアップダウンはそれなりにありますが、これも又楽しい。総走行距離は100Km弱ですが十分に満足できるでしょう。付近には名湯とは言えませんが安い温泉も数多くあり、走ったとの楽しみも事欠きません。

今回のスタートは日高門別(現在は日高町)の庫富(くらとみ)です。日高道を富川でおり、沙流川を渡って日高門別の交差点を山側に入って行くと最初の集落です。道々1026とのT字路を右に折れるとすぐ橋になり、この袂に車を置きました。帰りはこの道々1026を下ってくることとなります。

廃屋の桜

廃屋の花園

庫富から義経峠分岐の広富を目指して道々351を進みます。わずかな上り基調の道ですが、海風が背中を押しているせいか上りである事を忘れます。道は良く車は少なし。良い天気で気持ちが良い。道々の牧場では今年の春に生まれた子馬たちが母馬に甘えています。馬も子馬のうちはよく寝るものらしい。草原に無防備に横になっています。

義経峠分岐で道々80号に入ります。交通量は更に少なくなり、山菜採りの人が時々通る程度。昼間は流石に熊が出ることはないでしょうが、夜だと真面目にそっちの心配が出てくる感じの道です。門別川水系から厚別川水系へぬけるちょっとした峠ですから上りはそれなり。下りきると三和分岐点です。辺りには民家が数軒とバス停の小屋があるだけ。あとは牧場です。書き忘れましたがスタートからここまで補給は一切ありません。自販機もなし。従って水・食料とも全て背負って走る必要あり。ここから道々71になります。

太陽分岐点 偉大なる分かれ道!

太陽分岐点

さてこれから暫くは厚別川沿いにゆるく下ります。周囲は畑作地帯という感じ。静かです。離農したのか廃屋が点在する寂しい地域です。道々208との分岐を左にとると再び上り基調に。太陽地区の台地状の地形へと上って行くことに。この辺りから「ディマジオ美術館あと○○km」という看板が時々見えてきます。「ディマシオって何だ? ジョー・ディマジオは野球選手だけど、なにか野球の絵でも飾ってるのか」と馬鹿な事を考えつつ進みます。途中に「太陽分岐点」という、天文学的に重要と思えるようなバス停跡があります。遂に「ディマシオ」が見えてきました。突然、教会か何かのような瀟洒な建物が下り道の降りきった所に現れます。場違い感が強烈です。野球の殿堂ではないようです。幻想絵画の作家らしい。建物はよく見ると廃校の再利用だと分かりました。しかしそれにしてもよく改造したものだ。感心します。「ネコに注意」の看板が笑える。車は徐行しましょう。残念ながらネコはおらんでした。当日は観覧者はだれもいないようで森閑ととしておりました。

ディマシオ美術館 残念ながらネコは飛び出さなかった

ディマシオ美術館 ネコが飛び出す?

この後太陽地区の大地から新冠川へ一気の下りとなり、降りきって新冠川に掛かるのが御影橋です。この橋のたもとで一休み。スポーツバイクなど珍しいらしく、地元の若者が眺めて通ります。御影橋の手前を右折して新冠川右岸沿いの道を進みます。暫くは細道ですが舗装が途切れるようなことはありません。道々209と合流すると交通量は少し多くなります。もしかするとここがこのルートで一番車の多い場所かも知れない。緑丘で右折し山登りに入って行きます。遂に走り始めた、道々1026号に入ります。

ここからは海の近くの小さな川をいくつも越えて進みますから上ったり下ったりが忙しいです。一つ一つの上りはたいしたことないのですが、何しろ後半で疲れてますし、海からの風はここに来て意地悪な方向から吹くことが多いようです。思えば前半も上りが結構あったのでそろそろ私のようなレベルだと足に来ています。新冠川から厚別川へ越えるのが最大の上りです。私は最後の豊郷小学校の横で暫くごろ寝をしました。道で転がっていても誰も来ないので平気です。空を仰いでうとうとすると実に気持ちが

オオバナノエンレイソウの群落

オオバナノエンレイソウの群落

良い。この一山で終わりというのも充実感満点です。実は上りの斜度はこの最後の上りが一番きついようです。登り切ると美しい牧場の広がる中を、出発地点の橋へとまっしぐらに下ります。馬たちが不思議そうに見ています。一日の終わり、夕陽が美しいでしょう。

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オロロンラインから国道12号へ

このコースは大抵の人には一日では無理でしょう。従ってShort Bike Rideとはいえないコースですが、一応周回ルートですし、札幌から出られるコースですので紹介してみました。

札幌から石狩へ抜け、所謂オロロンラインとよばれる日本海沿いの国道231号を使って留萌まででて一泊。二日目は233号を使い美葉牛峠を越えて北竜町へ抜け、石狩川右岸をたどって、新十津川の手前で石狩川を渡り、滝川から国道12号をたどって札幌へ戻る、というルートになります。

この日は途中でダウンして汽車に乗る羽目になったときのために折りたたみのBD-1を選びました。以前にやはり留萌まで走ったときには大雨で交通機関が停まり、漸く動いたバスで深川まで逃げ帰った経験があります。その時もこの自転車でした。留萌駅で慌てて自転車をたたんで、急遽出ることになったバスに飛び乗った思い出があります。今回も同じ事にならないことを祈りつつの出発でした。幸い天気は良い、との予報です。

早朝に家族の寝静まる中を抜け出し、とりあえず出発しました。途中の新琴似のセイコーマートで腹ごしらえです。今回は恐らくセイコーマートをつなぎながらの旅になるでしょう。このコンビニは道北も含めた全道一円に店舗展開されており、特に道北を走るときには大変お世話になります。北海道旅行をするならここの会員カードは持っていて損はないです。何故かというと、ポイント自体は旅行者にとってはどうでも良いでしょうが、会員限定で割引特典のある商品が結構あるのです。これが中々うまみがあるわけです。カードはその場で作ってくれますし、なかなかよく出来ていて、カード本体とは別にバーコードだけが印刷された半券の様な部分が切り離されるようになっていて、二つ目の財布に入れておくことが出来るようになっています。従って小銭入れの中にこれを放り込んでおくことも出来るわけです。

石狩まではどのように走っても良いのです。太いのは追分通りですね。石狩花川から石狩市庁舎横を通ってまっすぐ行けば、道は石狩新港をはるか左に見つつまっすぐに続きます。風力発電機が気持ちよく回っています。太く整備された良い道です。この辺にもセイコーマートが二件あります。石狩河口橋は左に歩道があり、風の強いこの橋を渡るときは無理せず歩道を走った方が無難です。渡れば八幡町です。ここにもセイコーマートあり。時間が早朝でなければ食堂も数件営業しております。今回は構わず進みます。程なく聚富の上りが待っていますがたいしたことはないです。ここには「猫の家」というカフェの看板が。今回は寄り道はしませんが猫好きにはたまらない店だそうです。一山越えて望来。ここにもセイコーマート。望来市街で食堂は民宿兼食堂の「味の望海」一軒だけです。また聚富の崖の上にはピザなどがだされる「リップル」があります。少し平坦な道をたどると再び登りです。これから先の日本海は増毛までこんな調子で上ったり下ったりの連続となります。大体一度の登りが100mから150m程度でしょうか。峰泊のトンネルを過ぎると左に「天海コーヒー」の瀟洒な建物が見えます。ここは中々落ち着く店です。一旦下って古潭を過ぎてまた登り、次の下りが終わると厚田です。ここのセイコーマートで一服するのが良いでしょう。この先は浜益まで補給できる場所は何もありませんから。厚田市街には港付近に食堂や寿司店(かなり混む)鮮魚店、朝市などあり、夏のシーズン中は結構賑わいます。宿泊は創価学会の二代目会長の戸田城聖ゆかりの戸田旅館を初め、民宿が何軒かありますが泊まったことはありません。

市街を過ぎてすこし上ると、海沿いの気持の良い道が続きます。「安瀬」と呼ばれる場所です。これをなんと読むか。恐らくほとんどの方には無理でしょう。実は北海道人の私にも無理でした。はじめ「あっちゃせ」と読むのかと思いました。日本海側の瀬棚の方に「厚瀬崎(あっちゃせざき)」という場所があるので、ここもそうかと思ったものです。ところがなんと「やそすけ」と読むのだそう。アイヌ語の「ヤソッケ(網・場所)」によるものだそうです。確かにゴロタ石の穏やかな平磯で、網を仕掛けるには良い場所のように見えます。

濃昼山道入り口 急な登りです

濃昼山道入り口 急な登りです

滝ノ沢トンネル、太島内トンネルと長大なトンネルが続きます。最後に新赤岩トンネルを越えると登りに掛かります。濃昼の登りです。これも難読地名の一つ。「ごきびる」と読みます。今では新赤岩トンネルが集落の上に出てきますが、かなり昔は海沿いの濃昼の集落から大きく谷を巻くように上って行く道でした。さらに大昔はそもそも海沿いの道などなく、安瀬から大きく崖を高巻いて到達できる難所だったところで、今でもこの道が「濃昼山道」として残っております。

またトンネルをいくつか越えて、次の登りは送毛(おくりげ)です。ここも旧道があり、「送毛古道」と呼ばれる山越えです。私はまだ走ったことがありませんが、一部砂利道となるらしいです。千本ナラという記念樹があります。新道の方は「新送毛トンネル」というまたまた長大なトンネルを越えるとあとは気持のよい下りとなって毘砂別(びしゃべつ)に至り、平坦な海沿いの道を風を楽しみながら浜益へと至ります。ここにもセイコーマートあり。補給です。この先はコンビニは増毛までなしです。途中の雄冬地区は夏場はいくつかの小さな食堂らしき店が営業するようですが、まともな商店と言えるような所はないと思った方が良い感じの所です。浜益はコンビニの前が海浜公園になっていて、ここにテントを張ることが出来ます。料金は無料。気持のよいテントサイトです。ここに泊まって川の上流にある浜益温泉に入るのが好きです。しかし今回は通過です。

雄冬冷清水

雄冬冷清水

白銀の滝

白銀の滝

群別、幌、床丹と集落を進み長大な二つ岩トンネルを越えると千代志別です。かつてはここが道の終点でした。この先は船で渡るほかなく、雄冬は「陸の孤島」と呼ばれたものです。しかししかしその後何度か工事が繰り返され、現在はこのルートで最長の浜益トンネルによって雄冬岬の難所を全てバイパスして雄冬に至る事が出来るようになりました。しかしその分途中の絶景、奇岩は見ることが出来なくなってしまったのは少し残念ではあります。トンネルを抜けるとすぐ右に白銀の滝が落ちています。また集落の入り口付近には道の左に雄冬キャンプ場があります。ここはキャンプ場とは名ばかりの細長い空き地で、すぐ横が国道なのでちょっと落ち着かない感じで、あまり利用されていないようです。ただ水場とトイレはちゃんとありますし、雄冬冷清水というわき水が湧いております。東屋になっていて、暑い日であれば美しいわき水に足を浸して日本海を眺める贅沢が味わえます。ただ残念なことにこの水は飲用不可です。

歩古潭からの絶景

歩古潭からの絶景

ここから暫くは海沿いの道です。6km程で右に岩尾温泉が見えてきます。昔からある温泉で、かつてはここも船で来たとのこと。まだ入ったことはないですが、こんな所でゆっくりと出来る日を楽しみにしたいです。更にトンネル地帯が続き、歩古潭の最後の登りになります。150m位ですが一日の後半になると少し堪えます。ただ登り切った辺りの眺めは最高で、一日頑張った甲斐があったというものです。ここを下ると増毛町はもうすぐです。

増毛は小さな町ですが、古くから栄えた土地らしく味のある建物が多く残ります。町の入り口の海側にはかつての大砲が置かれていて海の要衝であった事が忍ばれます。道をまっすぐ突き当たりまで進むと増毛駅ですが、途中に最北の酒蔵である国稀酒造がありますし、ラーメン店、寿司店などもいくつかありますから食事も楽しめます。私が通った日は留萌-増毛間の鉄道が廃線となる直前で、最後の列車に乗ろうとする鉄道ファンが沢山駅前に来ておりました。国稀酒造前には仕込み水をくめる場所もあります。

これが「波濤の女」中々美人です

これが「波濤の女」中々美人です

黄金岬キャンプ場

黄金岬キャンプ場

増毛から留萌に向かいます。町外れを少し上がって下ると、あとは海沿いの平坦な道が続きます。漁村の風景を眺め、まもなく廃線になる留萌-増毛間のローカル列車が時々走り去るのを見送りつつ淡々と進むとやがて留萌の入り口の分岐に至ります。右は市街の中心部へまっすぐ入って行き、左は海岸沿いの道となって本日の宿泊予定地である黄金岬へと続いて行きます。海岸は「サンセットビーチ」という美しい海水浴場で、やがて小さな出岬になっているのが黄金岬です。右に飲食店が少々、海側はちょっとした公園になっていて、石碑や「若者達」のメロディーが流れる記念碑などがあります。さてテントサイトは、と探しますがそれらしい物も標識もありません。しかしよく見ると駐車場の横の幅3m位の細長い芝地に小さなテントが並んでいます。これがキャンプ場?と目を疑いましたが、周囲を探ってもテントを張れる場所はここしかないようです。確かに落ち着いて回りを見るとトイレがあり、小さいながら水場もあります。やはりこれが「黄金岬キャンプ場」のようです。観念して小型のテントを張りました。本日のテントは空気を吹き込んでフレームにする構造の簡易テントです。nemo gogo elite という製品ですが、テントと言うよりはビビィと呼ぶべき代物で、高さがないので全く快適ではありませんでした。寝てしまえば同じと言えば同じですが、中で服を着替えるなどには相当難儀しますね。ただフレームがないのでパックすると小さな毬くらいの大きさになります。重さは超軽いとは行かぬのですが、このコンパクトさは魅力です。これは荷物が余り積めないBD-1には大変助かる事です。設営や撤収は超簡単でした。テントを張って一息つき、留萌の夜の町を楽しみます。まずは港にある人型の灯台「波濤の女」を見に行きました。黄金岬から更に港側に進み、道が右に曲がって登りになる前の砂利道を港内へ進みます。港内の右奥にこの「灯台」があります。まあ本格的な灯台ではないですね。灯りが点く銅像と言った方が良い。でもなかなかしゃれて居るではないですか。残念ながら時間が早くて点灯していないので、まずは夜の留萌を堪能しに丘を登りました。駅前付近が繁華街です。この日はある寿司店に入り色々と堪能しました。帰りにもう一度点灯している「波濤の女」を見に行きました。

三船殉難の碑

三船殉難の碑

翌日は早起きして昨日と同じ道をたどって街のセイコーマートまで登り、弁当などを仕入れて朝飯にしました。キャンプ場の上の丘には公園と記念碑があります。終戦直後に留萌沖で国籍不明の潜水艦に撃沈されたという引き揚げ船の慰霊碑です。

さてこの日は訳あって留萌の街を出たのが9時という超遅いスタートでした。市街地を抜けて小平方面へ北上する道と分かれて国道233号を深川の方へと向かいます。道は留萌川に沿ってゆっくりと上って行きます。車の量は昨日よりは多くなりましたが道が良いのでそれほど苦にはなりません。峠下で恵比島への道と分かれ、美葉牛峠へと向かいます。「びばうし」と読みます。多くの車が併走する高速道路を使うので道はすいています。美葉牛峠は小さな峠で下ると石狩平野の北の端です。平坦な道をたどって碧水の交差点。ここにコンビニあり。留萌からここまではコンビニ無しです。

美葉牛峠越え

美葉牛峠越え

この交差点を右折すると雨竜へと進んで行きます。北竜町、雨竜町と道の駅が短い間に二つ続きます。コンビニや自販機もぽつぽつと出てきますから、昨日までの様に補給に神経を使うことはもうありません。この日は滝川の松尾ジンギスカンに寄ることに決めていましたから石狩川橋の一つ手前の橋で石狩川を渡って対岸の滝川ふれ愛の里の横を抜ける道で国道12号に出ました。松尾ジンギスカンは北海道の数あるジンギスカンの中で味付きジンギスカンの雄とも言える存在です。味はちょっと濃いめでしょうか。

満足して店を出るともう午後も遅い時間になっていました。やはり出発が遅れたのは痛いです。後はひたすら国道12号を札幌へと向かうだけです。単調な「直線道路日本一」をたどり、岩見沢まで来た所で時間切れとなりました。早く出れば完全に周回でしたでしょう。

松尾ジンギスカン本店

松尾ジンギスカン本店

CateEyeAtlasのページは一日目はここここここ。二日目はここここここ。

 

朝里峠

札幌から小樽側に走って周回するコースで最短のルートと言うとこの朝里峠となります。途中張碓の上りがあり、更に海抜50mからおよそ700mまでの中々の上りが楽しめます。このコースを回るときは断然朝里側から入ることをお勧めします。というのは朝里側の上りはきついのですが、その後の定山渓への下り、さらにそこから札幌へ戻る道はなだらかな下り基調となりますので大変楽です。これを逆にたどりますと、行きはだらだらとした上り、朝里峠の下りは猛スピードとなりますのでブレーキ無しではとても無理ですから結果的にエネルギーロスとなります。そして最後に張碓の上りが待ち構えますので気分的には憂うつです。また出発はなるべく早い時間がお勧めです。国道5号は休日の日中はかなり混みますから早い内に通過すると快適です。また朝里峠は定山渓から日本海側への抜け道ですので時間が押してくるとそれなりの交通量です。気持ちよく抜けるのは早い時刻にということです。

当日の私はというと朝5時ころスタート。国道5号は軽く流して進みます。途中のコンビニで朝食を摂るなどして一時間ほどかけて朝里着。朝里の交差点を曲がって少し上った所のサンクスで買い物をしてトイレを借りました。ここのトイレはきれいでしたね。コンビニはここと朝里インターの入り口付近に一軒あります。これを過ぎると朝里川温泉も含めてコンビニはありません。朝里の町で買い物などは済ましておくべき。トイレの方はというと朝里のダム下と上に一つずつあります。後はダムの上の駐車公園にも一つありますが、こちらは早朝はしまっておりますので注意が必要です。

さて肝心の道はというと朝里川温泉までだらだらと上って行きます。途中北海道横断道路の巨大な橋梁が頭上をまたいで行きます。この路は恐らく朝里インターの手前で道央道から分岐する形で山の中を抜けて余市方面へ伸びるのでしょう。将来は黒松内町で道央自動車道と合流する道になるはずです。朝里川温泉の静かな温泉街を抜けると朝里のダムのループ橋が見えてきます。見事なループ橋です。春先だとダムの放水を浴びるようにして登り、さらに橋の上から真正面に吹き出す豪快な水を眺められて迫力満点です。残念ながらこの日は放水はありませんでした。ダムの下にはトイレのある公園が、またダムの上に出るとちょっとした休憩公園とトイレがあります。ここからはダムの水面に沿って暫く平らな道が続きます。右側に駐車公園が見えてここにもトイレもありますが、この日は通過時刻が早すぎてシャッターが閉まっておりました。恐らく9時頃にならないと開かないでしょう。この時間帯(7時半頃)の交通量はかなり少なく、稀に車と出会う程度でした。快適すぎて熊でも出ないかと心配になるほどです。でも心配はいりません。この道はもう少しすると通行量が増えてきますから。

ダムと分かれると道は徐々に上り調子となり、やがて傾斜9%の標識が出るとつづれ織りの登り道が始まります。登りとしてはまずまずと行ったところ。やがて遥か前方に桟道の橋が見えてきます。この橋のむこうが峠ですのであそこまで上れば良いのかと目標が見えて気を取り直します。この辺で腹ごしらえをして後半に備えるのが良いでしょう。じりじりと高度を稼いでで行くと、やがて沢を巻くように右にカーブし、先ほど見えた桟道の橋の上に出ます。遥か下に朝里の海が見えるはずです。もう少しでトンネルとなり朝里峠はこれで終わりです。トンネルを抜けて少ししたところに林道の分岐があり、ゲートになっていて丁度広場のようになっていて休憩するにはもってこいです。

一気の下りが始まります。ほどよい下りです。ブレーキがほとんど必要ではなく、40km/hr位の速度が気持ちよくキープできるでしょう。札幌国際スキー場を過ぎ、さらに下りは続きます。右側にヘルベチアヒュッテがあるのですが、道からは見えませんので入り口を知っていないと到達できません。このヒュッテの説明はネットで検索して頂ければ分かりますが、北大が管理している山小屋で、かつては朝里だけのスキーの拠点として活用されたものです。国際スキー場ができた現在では存在意義は薄れたのですが、建物は中々風格のあるものです。道は更に下って、左に春香山の林道入り口を見て進み、更に小樽内川本流が見えてくると傾斜が緩やかとなって、やがて札幌湖が見えてきます。札幌の水源の一つとして作られた最も新しいダム湖で、人造湖の常で余り美しいとは言えませんが、湖越しに見える定山渓天狗岳の威容は絵になるものです。ダム湖岸にはいくつかの駐車帯がもうけられており、ダムに近い方の休憩所が大きくてベンチなどももうけられております。

ダム湖岸を走りきると最後はダム自体の上を抜け、ダムサイトからダム下へ一気に走り下りますと程なく定山渓の入り口に至ります。右に曲がれば定山渓の温泉街ですが、今日は用事がないのでそのまま直進です。やがて中山峠からの国道と合流し、緩やかな下り基調の道を藤野、石山とたどって札幌市街へ戻ることが出来ます。

早朝に札幌を出れば午前中の内には一周して札幌市内に戻ることが可能でしょう。距離は出発する場所に依りますが、90から100km程度です。

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霧立峠を回る五つの峠を越える旅

空知地方は石狩川の支流である雨竜川に沿って北へひょろ長く延びた形をしています。その最も奥に位置するのが朱鞠内湖。人造湖ですがマスやワカサギが釣れる美しい湖です。この北には日本で最も寒い場所の一つとして有名な母子里の集落があります。東に一山越えるとそこは天塩川の流域となり、区分では道北になります。西に一山越えると日本海を望む留萌地方となります。今回はこの空知北部の最も深いところを北上し、幌加内、添牛内から霧立峠を越えて留萌管内の小平町へ、更に霧平峠、達布峠をへて周回するコースをたどってみました。コースには「峠」と名の付く場所が5カ所もあります。そのうち二つは本当の峠というよりも雨竜川の高巻き道の最高点という程度の意味合いです。いずれも標高が300mちょっとという、峠としては小規模のものですから、ヒルクライムにはほど遠い上りではあります。

まずどこをスタートにするかですが、最後に下って終わりにしたいので、札幌から出かけるのなら沼田町かその近辺と言うことになります。沼田町の田島公園が丁度良いと思います。丁度コースの曲がり角に当たり、小さいですが駐車場があり、トイレもありますし水も出ます。キャンプ場というわけではないのでしょうが小さな炊事場もあってちょっとだけならテントも張れるでしょう。この日はだれも泊まっておらずテントは遠慮しましたが。ほろしん温泉から下りきったところにある「すずらん駐車公園」というのも良いかもしれません。トイレなどの施設は何もありませんが。あとは幌新温泉までの途中の道端の空き地がいくつかありますが、所有権がよく分からないのでうっかり停めると怒られるかも。

秩父別テントサイト

気持ちの良いテントサイトだ

前日どこで夜を明かすか。ほろしん温泉のキャンプ場を考えていたのですが、私が行った当日は「ほたる祭り」というイベントをやっている週末であった所為もあるのでしょうが、一杯でした。サイト自体はかなり広いと思うのですが、最近のオートキャンプ場の常でテントを張るためのサイトがあらかじめ決められていて、定員以上の人は入れないようになっております。受付のおじさんに、泊まりたいのですが、と言ったところ「予約は?」のひと声。一部のキャンプ場で予約が必要なのは知ってはいたのですが、まさかここもとは思っておらずびっくり。何とか隅っこでもいいので一張りだけでも、と頼み込んでみましたが、けんもほろろの応対でした。空き地は沢山あるのですけれどね。温泉の裏側の空き地もテントが張れるのですが、私の付いた時間が夕方だったのが悪かったのか、もう入れてくれません。ホテルで聞いてみたところ「今日は終わりです」の一言。全くとりつく島無し。さて困った。車中泊は嫌だしどこか泊まれないか。マップルを見ると近隣の公園にテントマークが付いています。明るい内は迷惑だろうが夜だけなら何とかなるか。薄暗くなる中車を走らせます。最初に見たのが先ほどの田島公園。ここは流石に誰もおらずテントを張るのは気が引けたので、更に走って秩父別のスポーツ公園に至りました。ここはすぐ向かいが温泉施設併設の道の駅になっており市街の中心部に位置しております。付いてみると数張りのテントが見えてほっとしました。よく整備された芝生で人は少なく静かな夜を過ごせそうです。一人用のテントはすぐに張れ、夜風に涼みつつビールが美味い。食事は市街の食堂で何か食べてみよう、と繰り出しました。飲食店は道の駅近辺に数軒あるだけ。私は角にある「ファミリーめしやブロッコリー」という居酒屋兼食堂にて食事といたしました。なかなか気持の良い店で、田舎の飲食店らしくボリューム満点の食事です。この後道の駅の風呂にも入り満足して眠りにつきました。

髙橋峠

峠と呼ぶにはちょっとという場所

翌朝は4時前から「チッチッチッ」という規則正しい音で目が覚めました。珍しい鳥の声だ、と思っておりましたが、明るくなってから見ると隣のパークゴルフ場に水を撒くスプリンクラーの回る音でした。持参の食料で腹ごしらえをしてテントをたたんで昨日下見をした沼田町の田島公園へと向かいました。車だとすぐに着きます。自転車を組み立てて出発です。公園のすぐ前が空知国道275号ですから公園を出ればもうコース上です。早朝の事とて車はほとんどいません。6時過ぎでしたが濃い朝霧が辺りを覆ってひんやりとした空気。走り出すとサングラスが水滴で曇り始め時々停まってぬぐわなくてはなりませんでした。ほぼ平坦な直線の道が続きます。竜水橋で雨竜川の清流を渡ると程なく多度志の交差点

幌成の廃校

幌成の廃校です 現在は郵便局

となります。国道は左折して北へと続いて、ドンドン進めば遥かに美深まで続いております。交通量は更に少なくなり、両側には低い山並みが迫ってくるようになります。雨竜川に沿って山間に分け入って行く感じです。補給の可能な商店などはほぼありません。幌成地区と鷹泊地区にわずかに自販機がある位です。途中の雨竜川をわずかに高巻く場所に髙橋峠があり、イチイの大木があります。

鷹泊を過ぎると道は幌加内峠の上りに掛かります。実はこの峠も本当の峠と言うよりは大きく雨竜川を高巻く山越えの道なのが地図を見るとよく分かります。雨竜川というのはかなり面白い川で、幌加内より下流に

幌加内峠

幌加内峠のトンネル

函状の中流域があって恐らくここに沿って道を通すことが難しかったと想像できます。そのため川の左岸の尾根を越えて上流域の幌加内地区の盆地につなげたものでしょう。一度雨竜川本流を離れて支流に沿って上って山を越えると再び雨竜川に出るというわけです。幌加内峠はお決まりのトンネルとなって終わり、下ると人造湖の横を抜けて幌加内地区に入って行きます。幌加内は四方を山に囲まれた盆地状の地形が広がり、日本一の蕎麦の栽培地帯だけあって一面の蕎麦の花が見られます。幌加内市街はこの辺で最大の集落であり、少ないながら飲食店もあります。ここに入った頃から朝霧は一転し快晴で日差しが肌を刺すような陽気と

第三雨竜川橋梁

深名線第三雨竜川橋梁です

なりました。わずかな上り基調の道を添牛内へと進みます。およそ10kmで幌加内道の駅に到着ですが、その少し手前に旧深名線の幌加内鉄橋が残されております。緑色のトラスが美しい橋です。この橋は鋼材をイギリスから輸入して組み上げた物で、その工法も当時としては画期的な物だったようです。詳しいいわれが書かれた看板が設置されています。幌加内の道の駅は開店が遅く、なんと午前10時です。私が着いた9時にはまだ開いておらずトイレを使っただけでした。良い天気であった事もあるのでしょうが沢山のサイクリストが集まっていて、聞けば前日に朱鞠内湖に泊まり今日はその戻りであるとの事。連日の休みとはうらやましい限りです。ここには温泉施設も併設しております。(せいわ温泉ルオント)

幌加内道の駅

幌加内道の駅

さてこの後同じくらいの距離を走ると添牛内に至ります。ここからが霧立峠の上りの始まりとなります。この頃になるとアスファルトが焼けるような気温となってきました。道は添牛内の入り口で分かれてしまうので市街地は見ませんでしたが多少の店などはあるはずです。水を補給するならとりあえずここです。これを越えると達布まで補給は不可能です。それどころか民家もないですからその覚悟で進んでください。ちなみにこの後の霧平峠近辺は携帯も圏外です。左折して観月国道239号に入りますとすぐに「霧立峠8km」の看板が出て目的地が意外と近いことに勇気が湧きます。上りはじりじりとしたもので、本格的な上りにはほど

上杉周大の畑

蕎麦の花盛りです

遠いものです。最後はあっさりと峠となり、町境を過ぎたところに広場と「霧立峠」の石碑があります。この日は真夏と言うこともあって日本海へ向かう行楽と思われる車やバイクが時々追い抜いて行きましたが、概して交通量は少ないです。ツーリングマップルの既述では「ほとんど通行する車がない」となっていて、季節によってはかなり寂しい道なのではないでしょうか。今回の周回ルートで一つ気になったのは熊のことです。実は今回のルート付近には史上最悪の熊害として知られる「三毛別事件」や「沼田幌新事件」の舞台があり、今でも道内で熊が多い場所である事に変わりはありません。従って曜日と季節によってはこちらの

苫前町の標識

三毛別のある街苫前 可愛いですが

対策も必要でしょう。また夜間に一人で自転車で走り抜けるっこと等は止めた方が無難でしょう。

上りと同じくらいの距離を下りきると、沼田方面左折の看板が出ます。霧平峠(きりひらとうげ)の始まりです。(道々742号)交通量は更に減少し、ほぼ通行量はゼロ。それでもたまにバイクの連中が追い抜いて行きます。いつもならその爆音にうんざりする私ですがこの日ばかりはこの音がお守りに聞こえてほっとしました。周囲は当然人家ゼロです。くどいですが携帯は峠のむこうまで圏外です。動けなくなったら助けを呼ぶことは出来ないと思ってください。峠はトンネルとなっていて、越え

霧立峠

今回の最高点です

た向こうはほどよい下りが続いて小平蘂湖に至ります。ここで未開通の道々126号と合流します。小平蘂湖は人造湖ですが明るい印象の湖で対岸の長大な湖上橋とその背景の切り立った岩山は一幅の絵のようで、これを望む休憩所で一休みするのが良いでしょう。ただし飲み物などは一切売っておらずトイレと日よけの東屋があるのみです。湖岸を抜けて下ると達布地区です。民家が数軒の小集落で、商店一軒、ガソリンスタンドが一軒です。ここまで来ると峠はあと一つ、達布峠を残すのみ。もうひと頑張りですが、既に100km近くを走っていますから実はこれがかなり堪えます。自販機があって漸く冷たい飲み物にありつけて一息です。道

小平蘂湖

小平蘂湖の絶景

は市街から直進で沼田へ向かうこととなります。(道々867号)この道中も民家はほぼありません。従って携帯もほぼ圏外です。唯一と言ってよい人工物は吉住炭鉱です。ここは全国でも珍しい、道内にも三カ所だけの露天掘りの炭鉱の一つです。場内は立ち入り禁止ですから道から眺めるだけですが、立っている看板も寂しいものでした。この道も交通量ほぼゼロ。途中で出会ったのは車数台と自転車で下ってきた三人組だけ。この人達に会っただけでも慰められます。実はこの峠が一番きつかった。暑さの中で最後の最後でもあって疲労していたということもあるのですが、上りの距離も登高距離も本日最大なので仕方ないことではあり

吉住炭鉱

草深く、今も稼働中

ます。おまけにこの日は後半がずっと向かい風となってつらいことこの上なし。漸く峠を越えれば後は基本的に下りです。ポロピリ湖の駐車公園で最後の休憩を。ここは水が出ます。(自販機などはないです)さらに下ると、きのう苦い目にあったほろしん温泉のキャンプ場を越えて更に下って行きます。恵比島付近で道々1007号が左に分岐すると沼田市街はもうすぐそこ。6km程で出発した田島公園に至ります。

総距離は140kmちょっとですから、一日の楽しみとしてはちょっときつめ、といったコースになります。くどいようですが、このコースを走る人は、パンクへの備えはもちろん、途中の水や食料の補給をあてにしないだけの物を持つべきです。携帯で助けを呼ぶことも通行人に援助を求めることも期待してはいけません。それと走る時期によっては熊への一応の注意も必要かも。夜間に走ることは是非止めた方が良いでしょう。

CateyeAtlasの該当ページはここここ。ただし一部ログが切れております。